医療ビジネスに殺されるな(9)

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いつも勝たなければ気がすまない敗者たち-1

ずいぶん昔のことですが、「いつも100%彼女が正しいなんて、変だと思わないかい?」と、私に同意を求めるように、非常に興味深い質問をしてくれたのは、長年の友人、ロイです。私と同い年の彼は、30歳近くも年上の女性、これまた私の友人のマリーと結婚しています。マリーは常に神様を信じていて、「神様は、いつでも私の味方なの」と言っています。そして、ロイが言うように「I am always right !(私はいつも正しい)」がマリーの口癖なのです。スゴイ自信ですよね。ロイは、「彼女は、いつでも勝たないと気が済まないんだ。だから、いつでも、正しくないといけないと思っているみたいなんだ」と、解説してくれました。でも、彼が質問してくれるまで、この彼女の口癖を変だと思っていませんでした。なぜなら、私もマリーと同じだったからです。もし私とマリーが言い争いをしたら、どちらも自分が正しいを主張して譲らず、大変なことになってしまうところでしょう。でも、私とマリーは、なぜかとっても仲良く過ごしていました。彼女の方がずっと年上なので、彼女の前ではお行儀よくしていられたからだと思います。

このロイの発言は、その当時の私にとって、非常に目から鱗(うろこ)でした。「ワーオ! 本当だ」と、深く深く腑に落ちたのです。それ以来、「いつも、勝たないと気がすまない」ってどういうことなのだろうか? と、私のいつもの好奇心が頭をもたげました。そして「いつも、勝ちたい」人の姿勢が、とっても凝り固まっていることに気が付いたのです。歯を食いしばって顎をクッと持ち上げて、首の後ろを固めているので、首と肩の凝りが激しいです。ひどい時は、四十肩、五十肩になります。それから、骨盤が後ろに倒れて、お尻の穴がギュウっと締まってしまっています。いわゆる「ケツの穴が小さい奴」になってしまうのです。つまり、「いつも、勝たないと気がすまない」病の人は、実は気が小さいということです。そしていつ誰が攻撃を仕掛けてきても良いように、常に戦闘態勢のまま生きているわけです。脇が締まり、瞳孔が開き、攻撃をされたらすぐ仕返しができるように、アンテナを張っています。ともすると、攻撃されてもいないのに、余計なチョッカイを出してしまったりするのです。捨てぜりふを残したりする人もいます。

そして、この「いつも、勝たないと気がすまない」病の人の危険なところは、ともすると今のトランプ大統領のように、独裁者になってしまうところです。また、自分が正しいか否か、あるいは勝ちか負けかといった、非常に小さな点だけに彼らの意識がフォーカスされているので、自分の意見とその場で起こっている事実との関連性や全体像が見えず、周囲の人との調和を欠くことが多々あります。鼻っ柱の強い、カッカしている若い時は、こういう傾向が多少なりとも誰にでもあると思います。全然ないと、今度は自分の意見がないとか主張がないともとれます。しかしながら、それが大人になってもかたくなに続く場合は、精神的に成長できていない、大人の体に住む子供になってしまいます。また、スピリチュアルな世界では、こういった人をエゴの強い人と呼ぶわけです。それのどこがまずいかというと、こういう人は常に体を緊張させているので、血液や体液、気などの巡りが悪く、浄化機能が衰えやすいので、体内のゴミが溜(た)まって心身の機能不全系の病気になりやすいことでしょう。

私も「いつも、勝たないと気がすまない」病であることに気が付いて、こりゃあまずいと、いかに、この“病気”を治療したらよいか研究に研究を重ねたわけです。その当時、確かに腰痛で動けなくなることがよくありましたし、多分あれは、腎臓にゴミが詰まっての腰痛だったのだと深く反省しています。しかしながら、自分の心身の健康の問題に取り組むことでよく分かったことがたくさんありました。

「闘争・逃走反応」

この「闘争・逃走反応」心理とは、恐怖に追い込まれた時、「闘争」か「逃走」、どちらを選ぶかのギリギリの境地に追い込まれる状態を言います。「勝たないと気がすまない」病の人は、「闘争・逃走反応」を常に起こしているといえます。この反応を起こしている時、他に選択の余地がないような焦燥感を感じます。自分が負けであることが、いや応なしに体感される時間でしょう。この負け犬感から逃れるために「私が、正しい!」と、ほえるのです。その時の彼らの姿勢は、まるで隅に追いやられた負け犬そのものです。本当、ばかみたいですよね。

こういった時、口が達者だと、一瞬だけ有利です。ロイとマリーのケースでもそうですが、男女の言い争いでは、女性の方が有利な場合が多いかもしれませんね。女性はおしゃべりですから。いかにも自分が正しいような屁(へ)理屈を、物すごい早口で並べ立てることができます。しかしながら、ここで男性がこの女性以上に「闘争・逃走反応」に陥っていた場合、暴力に訴えてくる危険があるのです。女性は、もし男性が暴力に訴えような気配を察知したなら、自分の気を一瞬にして落ち着けて、先に正気に戻るのが賢明です。ここで二人とも逆上すると、その後、大変なことになります。ここからカッとなって訳も分からずしてしまう、社会的にまずい行動に発展してしまったりするのですから。いわゆるDV(家庭内暴力)、妻に暴力を振るってしまう夫、あるいは自分の子供を傷つけてしまう「毒になる親」や、職場でのセクハラやパワハラ、子供たち同士のいじめと暴力の問題と、ツイやってしまう非人間的行動がこの「闘争・逃走反応」からであることは明らかです。

こういった相手と対峙(たいじ)する時のコツとして、この屁理屈並べの時に頭に上がっていく相手の気に釣られないよう、しっかり自分の気を地面に下すことです。つまり地に足を着けて、相手の並べる理不尽な理屈が、真実か否か見抜かなければなりません。そして、相手の上っていく気を下すためには、腹を据えて相手以上の強気で、怒鳴りつけることが必要な時もあるでしょう。もう一つは、完全に自分の体の力を抜いて対峙しているエネルギーを落としてしまうことです。

新婚ホヤホヤの当時、私も旦那さんのリカルドと侃々諤々(かんかんがくがく)とやり合う時がありました。ある時、物すごい勢いでまくし立てる私に、それまで長々とラリーの続くピンポンか、ラケットボールのような言い合いを、「やーめた!」とばかりに突然ドロップオフして、「君は、僕に怒っているんじゃあないね?」と、彼は言い放ったのです。次のアッパーカットを食らわしてやろうかという勢いをくじかれて拍子抜けした私は、自分の怒りのエネルギーが彼の立っている場所まで届いていないことに気が付いたのです。私も彼も空気とけんかしていたみたいな感じでした。空中に散乱していくエネルギーはただの無駄。ギャースカ言うだけ損ですし、そこまでやると大体、肺の辺りがスカスカして、何ともなしにむなしい気がしてくるわけです。「彼に怒っているのでなければ、何に怒っていたのだろうか?」と、不思議に思いました。それは、リカルドとの諍(いさか)いを切っ掛けに、私の中で生まれてこのかた消化されてこなかった過去に経験した感情が噴出していたのです。なんてアホな事をしていたんだろうと、心底ばかばかしく感じたのでした。