医療ビジネスに殺されるな(8)

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ブリンク力がない石頭の医者の増加が病気を増やす

マルコム・グラッドウェルの『第1感「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』、オリジナルのタイトルは「blink(ブリンク)」を覚えていますか? ご存じない方のために、「ブリンク」とは、この日本語訳本のタイトルにあるように、第一印象で、それが正しいか否か、本物か偽物かを見極める力のことです。どんな職業でも同じですが、その専門分野において、この“ブリンク力”が効くか効かないかは、プロかそうでないかのかなり重要な決め手だと思います。5年で半人前、10年で一人前というのが一般的と言われていますが、ハイステータスな職業になればなるほど、その年月も長くなることでしょう。また、長さだけ以上に、深~い経験が必要です。「~年も、○○をやっている。だから自分が正しい」みたいなことを言う人がいますが、経験が長いだけではこのブリンク力は築かれません。

このブリンク力を養うのに一番良い方法は、頭で考えないことです。深~い経験というのは、紙の上でいくら理屈をこねくり回しても得られるものではありません。本などの紙の上で学んだことを実践を通して体感しなければなりません。つまり体験でなければ経験として機能しないのです。また、学校やトレーニングで教えられたことを頭ごなしに信じ込むのではなく、それが真実であるか否かを自分なりに確認しなおす作業や、理解できていることとそうでないことの整理とか、理解不十分の知識について、あるいは不得意な技能において、さらに学び直すなどといったことも大切です。要するに知識であっても、反芻(はんすう)し、十分に消化することが大切なのです。また、それぞれの専門的知識と人生全体との関連性などについても、常に興味を持って研究にいそしむ必要があります。そうしているうちに、新しい体験にオープンであれば自然にブリンク力が働くようになります。それには、新しい体験を受け入れ、自分の体内に湧き起こる新しい体感覚を察知しなければなりません。その体感覚が、愉快でも不愉快でもです。多くの人が、この“不愉快感”を避けることに神経を集中させて生きていますが、この“不愉快感”が何かというと、実は不慣れな感覚、つまり経験したことのない新しい感覚です。

ところがある程度、大人化すると、現代人の多くが、この新しい感覚というチャレンジを受け入れることが億劫(おっくう)になり、この素晴らしい冒険を受け入れるどころか、拒絶するような行動を起こすようになるようです。“不愉快感”を避けて、自分に鈍感になっている人は、ブリンクできません。結果、全て頭で考えて答えを出すという悪循環に陥ってしまうのです。

サザーランド博士のブリンクから生まれた頭蓋仙骨セラピー

面白い話があります。現在の頭蓋仙骨セラピーは1970年代に米国のアプレジャー医学博士が作り上げたものとされていますが、その元になったアイデアは30年代にカナダのウィリアム・G・サザーランド医学博士によって作られた頭蓋オステオパシーなのです。サザーランド博士は、その当時まで医学界で信じられていた人間の頭蓋骨は成人したら石のように固くなってしまうというアイデアに疑問を持ちました。頭蓋骨にさまざまな方向から力を加えることができるように工夫された特殊ヘルメットをかぶって、自ら人体実験したのです。その結果、私たちの頭蓋骨は成人しても、人の目では知覚できないほど微細な動きを特殊なリズムと共に続けていることを発見したのです。そして脳に不自然な圧力が加わることで、感情の処理が上手にできなくなったり、異常な言動が生じることが分かったのです。いわば頭蓋仙骨セラピーは、サザーランド博士のブリンクから生まれたセラピー法なのです。実際、今では、このアイデアを基にしたさまざまな代替えセラピーが存在しますが、新しい知識を受け入れることがそんなに不愉快に感じられるのか、いまだに西洋医学界はこの新しい事実に関する研究結果を受け入れていません。現代の生きながらにして死んだ人の頭蓋骨を持つ石頭の医者たちには、ブリンクなど到底できない芸当なのです。

医者は人生のお手本であるべき

しかしながら、コンピューターも顕微鏡も、何もない何千年も昔に、中国医学やインド医学(アユールベディック)は築かれました。では、彼らはどのようにして人間の健康について学んだのでしょう? その当時収集可能であった(今から比べれば)わずかな知識をもとにした経験・体験、そして体を使って生きていた時代の鋭い洞察力を持って、実践から学んでいったのではないでしょうか。気の流れがスムーズであることが一番の健康維持の秘けつであること、滞った気には邪気が流れ込みやすいことなど、医者たちは自らの人生経験・体験を通して知っていたのです。実際、その当時の多くの中国医学のお医者さまは、同時に武道の達人でした。医者たちが組んで反旗を翻したら抑えられないのではないかという毛沢東主席の疑心暗鬼から、中国医学から鍼(はり)を取り上げてしまったのだそうです。(これは余談ですが、だから日本の鍼の方が、中国以上に中国鍼の伝統を継いでいるのだそうです)。また、ドクターという称号の意味は、人生とは何かを教える先生ということだと、知り合いのナチュロパシー博士が教えてくれました。つまり医者は、人生を教えるお手本であるべきなのです。

私の父は彼の若いころ、つまり私が子供のころ、「医者はばかだ。全然、分かったとらん!」と豪語していました。私の医者嫌いは父の影響が強いのかもしれません。それでも老後は結局、免疫不全系の病気になり、最期の8年くらいステロイド薬のお世話になっていました。私の結婚式には、まるでアンパンマンのように腫れてステロイド焼けした顔で出席しました。最期は集中治療室(ICU)で亡くなりましたので、もちろん薬漬けの上にチューブでグルグル巻きにされてしまいました。父の主治医は、家族に死を告げる時まで大きなマスクをしたまま話し、私たち家族はついぞ彼女の素顔を見る事はありませんでした。人間的マナーのなっていない彼女に私が憤慨したのは言うまでもありません。

また、その当時80歳だったクライアントは、卵巣がんと診断され、さまざまな検査の末に卵巣摘出手術の予約をさせられました。彼女の担当医は、「もう、どうせ要らないのだから…。」と言ったそうです。人間の体内に、要らない臓器なんて本当にあるのでしょうか? それに納得できない彼女は「本当に、がんなのかしら?」と私の所へ相談に来ました。がんを患っている方というのは、特有の臭いがありますし、気の流れも特有なんです。でも、彼女の卵巣辺りに手を当ててみると、がんのような気がしません。まあ、わざわざ私の意見を求めて、お金まで払っていらしたわけですから、私も正直に思ったことをお伝えしました。さて、それでも心配で手術を受けた彼女と再び会うチャンスがありました。なんと「お腹を開けたら、がんが見つからなかったのよ」と言うのです。

ウェル・ビーイング・ジャーナルに掲載された記事「電子医療記録のインチキ:ポチョムキン村のヘルスケア」の中に、優秀なはずの医師が、ある患者が難治性めまい治療のための手術を既に予定していたにもかかわらず、「患者はめまいを感じていない」と記録してしまったことに言及しています。

最近、赤ちゃんを授かった私の知り合いがこぼしたのは、「出産予定日が来ないのに、ベッドが空いたからという理由で急きょ入院させられた挙句の果てに、(出産予定日になっていないんだから当たり前だと思いますが)陣痛促進剤を使っても出てこないという理由で帝王切開にされてしまった」とか。しかも予定日を無視して出産を早めた理由が、担当医がサーフィンが唯一の趣味で、もともとの出産予定日が最高の波になる予報があったからだそうです。っと、お医者さまのアン・プロフェッショナルとも思えるミスや人間性を疑わざるを得ない行為が、次々に報告されています。

そして、「自然治癒で治るがんは、もともと誤診だった」と宣う、お医者さまも、私は知っています。

もちろん、彼らも人間ですから、絶対間違えるなというのは無理ですけどね。

それにしても、最近の医原病や不定愁訴と呼ばれる病気の増加や、子供も大人もみ~んな病気現象の原因の一つは、ブリンクできない石頭のお医者さんの増加にあると思います。