第十回目「忘れられた身心一如」

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第十回目「忘れられた身心一如」

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終戦と時を同じくして始まった抗生物質の大量生産・販売により、簡単に解決できるように見えたあらゆる体調不良つまり別名、病気です。さらには、経済の成長を優先するあまり不便な体調不良を抑制して頑張るのが美徳とされる社会風潮が、それに拍車をかけたのでしょうか。理不尽にも、私たちの健全な免疫機能の働きによって起こるさまざまな症状が、邪魔者扱いされるのが当たり前の世の中になっています。

私がピラテスのインストラクターだった十数年前、クライアントたちがよく言った言葉が「心は幸せだけど、体の体調が悪くて、、、」。毎週同じ体調不良を訴えながら「しあわせだ」と言い続けられる彼らの考え方が不思議でしたし、とても興味深く感じました。そして今、何時でも何処でも幸せな勝者でなければならなかった時代の後遺症でしょうか。私がよく通るマンハッタンの14丁目沿いには、多くの白人の若者がホームレスとして座り込んでいます。4、5年前まではホームレスといえば黒人でした。

これらの現象は如何に私たち人間が自身の中に生きる真実としての体感(身体の感覚)と感情(心の感覚)を無視して、社会の期待に答えることを優先して来たかを示す例だと思うのです。「心身一如」の考え方が忘れ去られ、人間は身体も心も満足することなく、それに伴う人間関係は当然貧しくなり、徐々に不幸せ感を増していったのではないでしょうか。そして今、長い間の心の不満足感にみなが疲れている時代なのではないでしょうか。ゆえに昨今のスピリチュアルブームの起こりに象徴される「幸せ探し」が、社会に蔓延するようになったのではないかと推測します。

体と心は一つです。二つの別の物を何かでつないで一つにするのではなく、体は心で心は体なのです。古くからの教え「健全な体に、健全な心宿る」がありますが、それは体と魂が一体であるということです。真の幸せを追求するのであれば、健全な体づくりが、その始まりにあるべきだと私は思います。