第2回 愛は姿勢

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愛は姿勢

https://www.nyseikatsu.com/api/709/pdf/page11.pdf

愛とは何か。というのは万人の興味でしょう。愛は姿勢です。何か私たちが、そこに到達することを目標として生きるべき人間性の最高峰のような、成ることが可能なら成りたい人間の質です。愛は Doing ではなく Being です。愛という Being で行動するならば、その Doing は愛を表現するものになります。たとえそれがどのような行動であっても。ただ自分が愛と呼べる Being になることを目指して生きる、それだけです。

愛の Being は地に足のついた姿勢であり、ぶれない中心軸を確立することであり、体と心と魂の一体化された姿勢です。ここは地球、だから私たちは人間として存在するのです。地球に存在するすべての Being が愛なので、たとえ誰かがあなたを苛立たせるようなことがあっても、あなたが誰かに苛立っても、別に構わないのです。苛立つこと自体は別に善でも悪でもありません。でも、苛立つことからあなたは何を学ぶのか、如何にその状態から前進して(成長して)愛の姿勢を築くのか、それが問題なだけです。苛立つ自分を愛せば良いのです。もし、あなたが自分の苛立ちと正面から向き合おうとせず、つまり愛の姿勢に向かおうとしないのであれば、経験のすべてを人生に置ける学習として、自分を学ぶ姿勢を取らないのであれば、年月とともに積もり積もった不安の重みであなたの姿勢は縮んで硬くなっていってしまうでしょう。それはあなたの人間性の萎えであり凝固なのです。経験を通して自分の人間性を学び高めようする姿勢が、あなたの愛への Being への第一歩です。それがどのようなものかと体感覚でいうと、まず体全体で楽に呼吸でき、テロンと無駄な力なく楽に立ち、ほんの少し未来に向かっている姿勢です。多くの皆さんが考える、胸を張った姿勢とは真反対の姿勢です。幾らか前傾したように感じるかもしれませんが、何時でも簡単に一歩踏み出せる状態です。(背中が丸まって前傾するのと、テロンと立って立てた状態で前傾するのでは、全く異なります)この状態で立ちますと、足の裏全体が地に吸い付くような感覚なのに土踏まずはフワッと軽く、その上に凛と身体全体が空に向かって伸び続けるかのような状態といえるでしょう。この時に注意すべきは背中のまっすぐさではなく、中心軸のまっすぐさです。人間の体の体幹の中心は、背骨ではありません。背骨を真っすぐにすることをゴールにしますと、回転力を失い、そのために視野が狭くなり、徐々に守りの心の姿勢へと落ち込んでいってしまうのです。これでは、愛の姿勢、愛の Being は学べません。