自分=愛・自分を癒せるのは自分しかいない(1)

0
265

からだと心と魂のつながり「真我を開くセルフヒーリングへの道」マキコ・メソッド(6

自分=愛・自分を癒せるのは自分しかいない(1)

今回はQ&Aはお休みして、「自分=愛」について書いてみたいと思います。

「自分を癒やせるのは自分しかいない。自分に対する真の愛を持ってしか、全てを癒やす事はできない。完璧に癒やされた自分とは、『自分=愛』になる事だ。それで初めて、他人の役に立つ人間になる。それが大人になるという事だ。大人になる事=癒す事。自分を愛するという事は、自分を甘やかす事とは違う。自分に厳しく、同時に優しくなければならない。とっても難しい。だからその方法を学び、自分を無条件に愛する練習をしなければならない。それが人生である」(2010年のブログから)

なんて、すごい事を書いているんですよ。これ誰が書いたの?って自分でもびっくり! この頃から、愛というのは「〜する」といった行為や行動ではなく、自分の人間性を成長させていきながら成就する状態なのではないかと思うようになっていたんですね。そして、人生のゴールは自分=愛なのだとね。自分自身が愛なら、その人間が表現する全ての言動も愛がべースになりますよ。怒っていても、悲しんでいても、喜んでいても全ての言動が愛ベースなんです。

それで思い出したのは、日大芸術学部演劇学科の学生時代に学んだ、自分の感情表現を観察するエクササイズ。このエクササイズを続けていたら不思議な体験をしたのですよ。例えば、悔しい思いをしたら、それを経験している自分を鏡に映して、どんな顔つき体つきになっているのか観察して筋肉の緊張と弛緩の仕方を学ぶのですが、ある時、自分の意識が二つに分かれていったんです。一人は鏡の中で泣いたり笑ったりと感情的になっている自分、そしてもう一人はそれを頭上から見下ろしている冷静な自分。この後者の自分は、それがどんな感情であっても、私が新しい感情を経験するのを楽しんでいるんです。いや、私が私であることを楽しんでいると言った方が正確ですね。何年か続けているうちに、この二つの意識が体の中で統合され、二つの自分が一つになっていくのを感じました。

それ以来、どんな状況に置かれてどんなに感情を感じていようとも、自分であることを楽しんでいる自分が自分の中にいるのを認識できるようになったのです。今振り返ると、感情的になっている自分を冷静に楽しんでいたのは、自分の全てを受け入れることのできる愛ベースの自分、そして感情的になっていたのは、いまだ子供で感情に振り回されている不安ベースの自分だったんじゃあないかと思うんです。それらが一つになった時、私は愛ベースに生きる第一歩を踏み出した時だったんだと思うんですよね。

もう一つこのエクササイズを通して学んだことは、同じ感情が起こることはないということ。同じような場面で同じように怒っているつもりでも、微妙に何かが違うのです。悲しみにしても、不安にしても、喜びにしても同様です。全く同じ感情は絶対に湧かないのです。ですから、例えば、過去にあった嫌な出来事を思い出して嘆く時も、数日前と今日では、嘆く時の体感が薄っすらと違うはずです。この世に同じ嘆きは存在しない。今考えれば、それは当たり前のことなんですよ。だって、私たちは24時間365日再生し続けているわけですから、同じ状態にあることは生まれてから死ぬまでないのですよ。だから同じ感情は、生まれえない。自分を感じる感性を研ぎ澄ませれば、毎瞬変化していく自分を感じ取ることができるようになります。

この自分を感じる感性を研ぎ澄ませるには、自分に興味を持たないとできません。自分でも他人でも興味を持つところから愛は始まります。自分が起こす行動そのもの以上に、その行動を通して自分がどう変化していくのか、皆さんは注意を向けていますか?

よく見かけるのが、あれもやったこれもやったとやった事を羅列して話が終わってしまう人たちです。うちのクライアントたちに宿題を出すことがありますが、その報告が「○○やりました。」で終わってしまう方が随分いらっしゃいます。「やったのは良いけれど、それであなたの中の何がどう変化したの? あなたは何を感じたの?」と私は追求します。答えは大抵二つしかありません。「良かった」か、「悪かった」かのどちらかです。体感の場合は、「痛い」か「痛くない」かのどちらかしかないんです。これらは情緒豊かな人の答えではありません。もし、こういう態度で生きていたなら、人生を満足させることはできませんし、愛を感じられないのは当たり前です。

往々にして、こういった自分を感じることを忘れたまま生きてきた方々が、人生の途中で立ち往生してしまうようです。そして答えを求めて「ヒーリング」に行くようになる。ピラテスのインストラクターからヒーラーと呼ばれるようになって、まず私が学んだことは、ヒーリングというのはリラクゼーションやパンパース(甘やかし)の提供では決してないということでした。なぜなら、そういうものを提供しても、問題解決過程で止まってしまった地点から一向に前進できないのです。ちょうど、雪道にハマってブーブー言うけれど動けない車のような感じでしょうか。グルグル同じ地点の周りを巡るだけで時間ばかりが過ぎ、労力の無駄遣いで疲弊してしまうのです。特に病気という状態に陥って私のオフィスを訪れるクライアントさんたちは、すでに疲れ切っていて病気を治癒させる生命力が減退して、自己治癒力が酷く低下してしまっているのです。

正しい生命力の復活の仕方を指導することが、正しいヒーリングへの第一歩になるのです。