三無主義 -ニューヨークの地下鉄事件

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皆さんは、「三無主義」という言葉を御存知ですか?

無関心、無感動、無責任の三つを一つにまとめて、三無主義と呼びます。

この言葉は、私がニューヨークに引っ越す23年前よりずうっと前から言われていたと思います。

ニューヨークに住むようになって10年から15年たった頃、私はニューヨークが日本の東京のような雰囲気に変化していくのを感じていました。 そして今まさに東京もニューヨークもかなり似た感じになったと思います。多分ニューヨークと東京だけでなく、世界中で資本主義の発達しすぎた国々で同様だと思います。私が行った国々の中では、ベルギーはニューヨークや東京以上に、人間の生命や人生におけるパッションを無視した、あるいは抑制した社会になっていました。

先週、ニューヨークの地下鉄である男性が地下鉄にひかれて無くなる事故がありました。ホームレスの男性とプラットホームで口論になり、線路に突き落とされた所へ運悪く、電車が入ってきて・・・・結果的に殺されてしまったのです。

このホームレスの男性が殺す事を目的としたか、かっとなって押したら間違って線路に落ちてしまったのか、定かではありません。また、この事故はたまたまそこに居合わせたニューヨーク・ポスト(新聞)の記者によって写真撮影され、その写真をフロントページに大々的に載せた事で、賛否両論、非難轟々という感情の嵐をニューヨーカーにもたらしました。

この記者に対して、「写真を取る暇があったのに、何故助けなかったのか?」と言うのが一番大きな声だったと思います。またそこに居合わせた電車を待っていた人々に対しても、同様でした。

この事件は、私の小学校2年から6年生まで続いた「いじめ」を、思い出させました。

この突き落とした男や写真を取った記者以上に、目の前で人が理不尽な理由で死んでいこうとしている時に、1~2メーターくらいの近さで、ただぼうっと突っ立ってみているバイスタンダー(傍観者)の三無主義です。

いじめられている私といじめている彼女は、それなりにその場で起こる事に関り、自分達の感情や存在に責任を持っているわけです。でも、私をいじめている彼女の周りで、自分だけはトバッチリを受けないように心身を固めて、自分の存在すらを抑制している彼女達は、いったいどういうつもりなのか?

良く覚えているのは、このバイスタンダー達は私をいじめるリーダーの子がいなければ、何事も無かったかのように、普通に私と話をするのです。でもこのリーダーの子がいる時は、突然私をいじめる側に回るのです。私は今でも、その子たちのまるでお人形かロボットのように固まっている表情を、良く覚えています。

いじめる子の自分の人生に対する怒りのエネルギーやある種の情熱のようなエネルギーに対して、この周りでただ追従しているだけの自己を持たない、冷たい人間たち。彼女たちは、いじめのみに対する傍観者なのではなく、自分の人生の傍観者なのです。

直接私をいじめた子については、いまではかえってそんな事をしなければ自尊心をサポート出来なかった彼女に納得がいくのです。

でも、この周りでロボット状態になっている子たちへの苛立ちは何だか処理されないままに、今に至っているのを感じます。あまりにも可哀そうで、イライラするのです。自分を知らない、多分大人になった今でも、この人達は自分の意見や信念をもたない、もしかしたら希望さえも持てない人達になっているのではないでしょうか?

このバイスタンダー達が、あまりにも増えすぎた今の世の中で、いったい人間達は真の愛を学ぶ事ができるのだろうかと、心配になるのです。

ニューヨークでヒーラーとしていろいろ経験し、自分のエゴを浄化し、魂を鍛え、さらに影響力のあるヒーラーになるためにまだまだ修行中の私です。

ある私のクライアントが言いました。「牧子は、いじめられた経験があったからこそ、ヒーラーになったんだね。」

いつかヒーラーとして、この自分の人生さえも傍観している不幸な人間たちを少しでも癒す事が出来るようになるために、アンリミットに広い心を持てるように修行を続けるしかないようです。

先週の地下鉄事件は、そんな私の将来に向上していきたいパッションを高めてくれる出来事でした。

(続く)

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MAKIKO道場総帥。 幸せになる為の術を学ぶ道場をニューヨークに開設。 ポスチュア・バランス・エクササイズ発案と指導。霊感をもった、ナチュラル・ヘルス&ライフ・スタイル・カウンセラー、エネルギー・ヒーラー。 健康である事、自然である事が、人間を幸せに導くと確信する。 3次元の地球に生きる意味を、追求している。