まっすぐに生きる、心の姿勢 第八回目「正しい愛の表現を学ぶレッスン」: April 4/5 2013

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私は、前世退行療法を含む色々な方法を通して、心の内側深くに埋もれていた自分の魂とエゴの2重構造を理性的に観察する事が出来るようになった。そして自分が自分のエゴと冷静に向き合う度に、自分の魂の真実、つまり内なる愛のエネルギーに触れる事が出来るようになっていった。その愛のエネルギーに触れると、体の緊張が緩み足はグラウンディング、上半身はフワッと軽くなり、呼吸が深くなる。そして全身に生命エネルギーが静かに優しく漲るのが感じられる。私という人間を構成している細胞達が瑞々しく生れ変り、ふっくら柔らかくなる。そうして、自分がこの大宇宙の一部であるとは、こういう事かと体感できるようになった。

結婚3年半、夫とのインター・アクションにおいて、私は自分の中の母と父を冷静に見る事が出来るようになった。夫に対しての言動が、余りにも父と母のそれに似ていて驚く事が間々ある。そっと彼に寄り添ったり、お茶を入れたり、花を買って来て飾ったり、その行動の一つ一つは些細な事だ。でもその行動を起こしている自分の内外の雰囲気や、そんな時の手や胴体の使い方など呼吸の仕方まで、誰かと似ているのである。夫を喜ばせる時も、怒らせる時も、悲しませる時も、色々な場面でそうなのだ。夫の言動を観察すると、やはり彼の父親と母親のやり取りにそっくりな時が良くある。

「三つ子の魂、百まで」とは良く言った物だと感心する。私達は幼い頃に両親と一緒に過ごす事で、人生における立ち居振る舞いとその使い方(行動パターン)を無意識的に彼らから学んでいる。しかしながら、人間の真実は「十人十色」。全員違って当たり前のはずである。何時かはその親から学んだ行動パターンを越えて、彼らとは似ていても違う真実の自分のを見出していかなければならない。そうでなければ、親でも誰でもない自分という人間が、今ここに存在する意味が無くなってしまうのである。

親の行動パターンを否定する事は、自分の親を否定する事のように思え心苦しいのは良く解る。彼らだって、ベストを尽くして彼らなりの愛を表現しているのである。何故人が怒るのか、悲しむのか、考えてみて欲しい。さらには、何故嫌うのか、戦うのか。人間の行動の全てが、愛の表現なのである。愛の反意後は無視である。無視と言うのは、一生懸命ソッポを向いて無視しようと努力するアレではない。目の前にいても、全くその存在すら気がつかない事を無視というのである。エネルギー的に見てみれば良く解る。愛はエネルギー100%、無視はエネルギー0%である。怒りは、怒れば怒るほどそのエネルギーのパーセンテージが上がっていくのは、誰の目から見ても明らかだろう。間違った愛の表現ではあるが、気になるから怒るのである。愛しているから、怒るのである。人間は、間違いを繰り返し、間違いから学び、間違いから立ち上がって、より良い世界を創造する能力を持っている。それでなければ、単一細胞動物から始まって類人猿を通り、今の現代人のように月に旅行にいけるまでにはならない。

何世紀もの間、人間は自分の外側、物質的発展に目を向け力を注いできた。それも必要不可欠だったのだ。しかしながら心の内外のバランスを崩し、心の泉が枯れ果てた時代が続いてきた。これからは、自分達の間違いから正しい愛の表現を学ぶ時代に入ったのだ。どんなに人間として生きる事が素晴らしいか、私は皆さんに是非知って頂きたいのだ。自分の魂の真実を知りたいと、勇気を持って正しい愛の表現を学ぶ時、自分の人生の全てに感謝できる時が来る。